第拾六話 月の欠片


 あるところに、貧しい羊飼いの青年が住んでいました。青年は、幼い頃に両親を亡くしましたが、羊達と共に穏やかに暮らしておりました。


 あるとき、青年は森の奥の泉に笛を吹きに行きました。わけもなく悲しいとき、寂しいときは、青年はいつもこの泉のほとりで笛を吹いていたのです。


 今日は、その泉に先客がいました。長い、しなやかな絹糸のような金髪をもったひとりの娘が、泉の水に足を浸していたのです。その美しい横顔に、青年の心は奪われました。娘も、青年に気付きました。ふたりはお互いに微笑み合いました。娘に請われ、青年は笛を吹きました。その音色は、森を越え、野を越え、丘を越えて、はるかに響き渡りました。


 娘は自分の素性を明かしました。山の上の城の三番目のお姫様だといいます。父である国王が決めた相手との結婚から逃げてきたといいました。そして、羊飼いの青年と共に暮らしたいと言いました。


 青年はあれこれと考えました。そして考えた末に、姫を山の上の城に連れて行きました。


「王様、僕は貧しい羊飼いです。けれど、僕はこの笛の音色で月の欠片を集めることができます。もし、それが叶ったら、姫様との結婚を許してくださいませんか」


 意外なことに、王はこの申し出を受けました。そして、次の満月の晩に、王と姫とおつきのひとびとは、城の庭園に集まりました。青年は、笛に唇を当てました。軽やかに、涼やかに、笛の音色は夜の空に響き渡ります。その美しさに、居並ぶ人々はほう、とため息をつきました。


 笛の音が夜のしじまに溶けていきます。誰も、身動きをとれません。しばしの静寂のあと、青年は口を開きました。


「姫様のグラスの中をご覧ください」


 姫は驚き、グラスの中を見つめました。皆の視線が集まります。グラスは仄かな真珠色に光っています。なにか液体が入っているようです。


「これが月の欠片です。ひと晩たつと、綺麗に固まります。このまま、土に撒くと、やがて月の花が咲くでしょう。」


 王は頷きました。


「月の欠片を集められる一族の話は聞いていた。とうに滅びたと思っていたが、そちが最後の生き残りか」


「はい。人里離れた森の中に、ずっと暮らしておりました。自然を扱う術の守り人として、自然と共に生きよというのが、祖先からの教えでした」


 王は遠くを見つめました。


「先の戦争は、月の欠片をめぐっての諍いが発端であったと聞いている。幼い頃にその話を聞き、月の欠片が目の前に現れた時、自分だったらどのような決断を下すだろうかとずっと考え続けてきた」


 青年は頷きました。


「羊飼いの青年よ、娘と穏やかに暮らせ。月の欠片は、そちと娘のものだ」


 青年は深く礼をしました。姫もまた、深く礼をしました。



 森に戻ってきた青年と娘は、泉のほとりに向かいました。そして、月の欠片を泉のほとりに撒きました。そして、顔を見合わせて、にっこりと笑い合いました。




(クーラウ作曲:フルートのための幻想曲 op.38 ニ長調)






幻想音楽奇譚

名曲の調べと共にお届けする、不思議な物語。

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