第六話 世界の解
その初老の数学の先生が、バッハが好きだと知ったのは、補習授業でのことだった。
「平井はピアノを弾くんだったら、数学のことも少しは分かった方がいいぞ」
「ピアノと数学は、関係ありませーん」
「だがなあ、古代ギリシャでは天文学とかと並んで、音楽と数学は万物を解き明かすための学問とされていたんだぞ」
「へえ」
「お前、音大行きたくて、音楽理論とか学んでるんだろ? 音楽理論を本当に理解していきたいんだったら、数学もちょっとは学んでおいた方が、演奏の深みが増すぞ」
「わたしがやりたいのは、理論じゃないもの、演奏だもの」
「だからな、その演奏をよくしていくためにも……まあ、いいや。平井は、バッハは好きか」
「バッハ…! なんだか堅苦しくて、イマイチ好きになれなくて」
「それなら、バッハをきちんと楽譜の分析をしながら、優れた演奏家の実演を聴いてみろ。それはきっと、数学の実践的な理解にも役立つはずだ。そうだな、お前の場合なら、ルービンシュタインとかいいかもしれない」
「先生、よく知ってるね」
わたしは内心、初老の先生の知識の深さに驚いていたものの、それを表情に出すまいと必死につとめていた。まあ、先生はそんなわたしの浅知恵なんて、とっくに見抜いていたのだろうけれど。
「まずは、自分が好きになれそうなバッハの作品を、ルービンシュタインの演奏で、楽譜を分析しながら聴いてこい。そうしたら多分、得られるものがあると思うぞ」
わたしは興味なさそうに、窓の外を見つめた。けれど、忘れないように、ノートの端に「ルービンシュタイン、バッハ」と書き付けておいた。
先生は、私の音楽を聴いたことはなかったのに、どうして私がルービンシュタインの音楽を好きになることが分かっていたんだろう、と今でも不思議に思う。彼のバッハは色彩豊かで、叙情性があって、私は心の奥底が締め付けられるように感じた。
後年、その先生は若い頃はピアニストになりたかったけれど、家庭の事情で諦めたことを知った。音大の卒業演奏会に出られるようになった時、先生に招待状を送ったら、お手紙の中にそんなことが書かれてあった。
「──僕は、いつも数式を見る度に、透明な音色が浮かんでくるのです。数式はとても豊かで、調和に満ちていて、美しい音楽のようだと知りました。そして、バッハは音の伽藍を透明な世界の中に建立している。それはとても精緻で、繊細で、数学の響きとよく似ているのです。僕自身は音楽からは離れてしまいましたが、若い貴女がこの世界を音楽によって解き明かしていき、貴女だけの解を得られることを、心から願っています」
先生らしい、と、わたしはくすっと笑った。それからも、ピアノは続けている。毎朝、バッハを弾く習慣は変わらない。現在は夫と子供二人で暮らしながら、近所の子供たちや大人にピアノや音楽理論を教えている。気がつくと、あんなに嫌だった音楽理論をこそ、どんな人にも大事に教えるようになっている自分に気がついて、苦笑する。
たまに、先生の手紙をひきだしから取り出して、読み返す。私だけの数式、私だけの解。もしかすると、人生は自分だけに与えられた数式を解き明かしていく過程そのものなのかもしれない、とも思ったりする。
先生は、どんな解に辿り着いたのかしら。恩師との時間を、懐かしく思い返した。
(バッハ作曲:「シャコンヌ ニ短調 BWV1004」)
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