第九話 星空の向こうに


 妻と、区民参加のベートーヴェンの第九の合唱団に入団することにした。新年度から専門家の先生の指導が始まって、四月から八ヶ月かけて、年末の演奏会までにドイツ語で歌えるようになれるという。私は最初乗り気ではなかったのだが、合唱部出身の妻がどうしてもというので、しぶしぶ一緒に申し込んだ。


 最初のパート分けでは、妻はアルト、私はテノールになった。旋律を歌いたかったという妻は最初ぶつくさ言っていたが、回数を重ねるごとに、だんだんと面白みを見出してきたようだ。当初はテノールだなんて困ったもんだ、と思っていた私も、声楽家の先生の情熱的な指導を受けるうちに、腹の底から声を出す喜びを感じられるようになってきた。気がつくと、週に一度の第九の稽古を心待ちにするようになっていた。


 家でも練習しましょう、と妻がきかないので、私は簡易的なキーボードを購入した。テーブルの上に置ける、小さなタイプだ。合唱団でピアノを弾いていたという妻が、音をなぞってくれる。我が家の愛猫は、我々ふたりの不器用なハーモニーを目をつむって聞いていた。


 舞台に立つというのは、子供のときの学芸会以来、初めての経験だ。団長の言うことには、男性はタキシードに蝶ネクタイ、女性は白ブラウスに黒い長スカートを準備しなければならないらしい。妻は喜んで、「一緒に写真を撮りましょう」なんて言ってくる。よしてくれ、新婚夫婦じゃないんだから、と言いながらも、気がつくとネットショップでタキシードの相場を調査している自分に気がつき、苦笑した。


 夏を迎える頃には、私は第九の詩の世界に深く心を引かれるようになっていた。外側の世界は、どんどん騒がしさを増している。世界の騒乱から目を背けるように、私は第九の詩の世界に没頭した。「歓喜に寄す」の詩を書いたシラーの伝記を読み、詩集を読み、ドイツ語を始めた。妻は「いつの間にか、あなたの方がすっかりはまっちゃったわね」と笑う。降参だ。仕方ない、認めよう。


 やがて、十二月になった。ついに本番の朝だ。私と妻は正装に着替えて、モニターの前に立った。大画面には、同時参加の人々の顔が映し出される。指揮者、ソリスト、オーケストラ、合唱団、たくさんの人々が、それぞれの場所から参加している。中には、月面居住区の方や、火星コロニーの方もいるらしい。皆、微笑み、誇らしげな表情だ。


 やがて、指揮者がタクトを上げる。モニター越しに緊張が走る。緊張に満ちた第一楽章。怒りにも似たエネルギーに突き動かされる第二楽章。あまりにも甘美な第三楽章。そして、第四楽章。我々の出番だ。


 モニターに映る、八ヶ月の苦楽を共にした仲間たちの顔を見ながら、私たち夫婦も声を合わせる。この模様は、地球から5億キロ離れたところにいる小惑星探査機にも中継されているらしい。そう、まさに、私達の歌声は星空の向こうまで届いているのだ。


 演奏が終わった。配信を見ていた方々からの拍手の書き込みが、モニター画面上に映し出される。皆、つやつやと嬉しそうな笑顔をしている。すべての人々は兄弟である。そして、すべての隔たりは、結びつけられる。私は、胸が一杯になった。そっと、妻の手を握った。妻は微笑み、私の手を握り返した。


「そういえば、こんな一節があったな」

「え?」

「『優しい妻を得た者は、その喜びを共にしよう』」


 モニター画面を見つめたまま、私はつぶやいた。妻の気配が柔らかくなった。そして、妻は私の肩に頭を寄せた。その様子を眺めていた愛猫が、ソファーから降りてきて、私たちの足元で丸くなった。





(ベートーヴェン作曲:交響曲 第9番 ニ短調 Op.125《合唱》)






幻想音楽奇譚

名曲の調べと共にお届けする、不思議な物語。

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