第拾壱話 Luz y Sombra


 スペインの太陽は、強くて乾いている。容赦なく、体内の何か大事なものを奪い去っていくようだ。



 コルドバの街を、私はあてもなく彷徨っていた。昔からガルシア・ロルカに惹かれてやまなかった私は、日本の美術大学を卒業後、単身スペインに渡った。地元の美術学校にも通った。様々な街を渡り歩いた。そしてガイドをしながら、自身の創作活動を続けていた。だが、最近はどうも描けない。描けない理由は、自分では色々感じているが、うまく言葉に出来ない。



 この街では幾人かの女性とも出会った。生活を共にした女性もいた。いや、実を言うと今朝まで、生活を共にしていた女性がいた。しかし、今朝起きると、彼女は一枚の手紙を残して、跡形もなく消え去ってしまったのだ。私はただ、真っ白な頭で何度も手紙を読み返した。手紙には「あなたの影は、どこ」とだけ書いてあった。



 私は、スペインの太陽に照らされながら歩き続けた。影、影、影なら私の足元にくっついているじゃないか。何を言っているんだ。足がもつれる。汗が流れる。舌が貼り付く。喉が乾いた。どこへ行ってしまったんだ。おおい。



 私は建物の陰に入った。日向と日陰では、何度ぐらい温度が違うのだろう。私は肩で息をしながら、額の汗を拭う。ふと、足元を見つめた。ここでは、私の影は見えない。建物の陰と同化してしまっている。陰の中では、影は見えなくなるのか。そんな考えに至った時に、私は何かを見つけたような気がした。



 私は、走って自分の部屋に戻った。何ヶ月も描きかけのまま放置していたキャンバスの埃を払う。油絵の具を絞り出す。描けなかったんじゃない、描かなかったんだ。描けるか描けないかじゃない。ただ、描くんだ。描き続けていくんだ。ただただ、手を動かし続けるんだ。



 命を失いかけていた絵が、息を吹き返していく。少しずつ、光を取り戻していくような気がした。私は無心に、手を動かした。もっと、もっと、もっとだ。果ての涯まで、その先まで、進んでいくんだ。進んでいったその先に、何があるかわからなくても、手を動かし続けるんだ。



 どれほどの時間が経ったのか、わからない。私は、私の絵と対峙していた。私の世界と対峙していた。私の世界は、私を照らしていた。



 ああ、光だ。圧倒的な光だ。私はただ、そう感じた。



 背後で、コトリと音が聞こえた。振り向くと、彼女がコーヒーの入ったマグカップを二つ、テーブルの上に置くのが見えた。彼女はゆっくりと微笑んだ。



「ようやく、影を取り戻したのね」



 私も微笑んだ。そして絵の具だらけの手で、彼女をそっと抱き寄せた。





(グラナドス作曲:《12のスペインの踊り》より「第5曲 アンダルーサ」)






幻想音楽奇譚

名曲の調べと共にお届けする、不思議な物語。

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